満10歳になりました


平成31年4月13日で、クリニックが満10歳になりました。

つくづく、早いなあと思います。
電子カルテがトラブルを起こして、てんやわんやで始まった開院初日。それからもう10年だなんて。
あの開院初日はとても良い天気で、茅野駅の桜が満開でした。
でも、今年は開花が遅れているようです。

この10年間いろいろありましたが、スタッフや関係者の方々の大きな支えが力になって、何とか無事に診療を続けて来ることができました。これは僕一人では成し得なかったことです。
本当に、スタッフや関係者の皆様には感謝しています。

そして、それ以上に感謝しなければならないのは、患者さんに対してです。
「先生、最近痩せたみたいだけど大丈夫?」「疲れたお顔をされているけど大丈夫ですか?」「無理しないでくださいね」「先生が倒れたら私たちが一番困るんだから」…etc
毎日の診療の中で、患者さんはさまざまな優しい言葉をかけて下さいます。どちらが医者かわからないような会話も…(笑)
本当に、ありがたいと思います。
そして、患者さんのためにも、自分の健康管理をしっかりとしなきゃと改めて感じます。

実は、3月下旬頃から、咽頭痛、嗄声、飲み込む時のつかえ感がずっと続いていて、さすがに心配になったので診察を受けたのですが、幸い悪いものではないとのことでした。でも、今まで無かった症状なので、正直「今回はマジでヤバイかな?」と覚悟しました。
こんなことから、今改めて、毎日無事に診療を続けられていることがどれだけ幸せであるかと感じるとともに、患者さんやスタッフのためにも、自己管理をきちんとしなければと自分に言い聞かせているところです。

まだまだ未熟な精神科医ですが、また新たな10年のために、いつも患者様のそばに居られる医師であるよう精進してまいりたいと思っております。

よろしくお願いいたします。


(PS)
開院記念日の朝、書類を書いていたら、スタッフが胡蝶蘭のプレゼントをしてくれました。
全くのサプライズでした。本当は、僕の方こそ、スタッフに感謝しているのに。
でも、すごく嬉しかったです。
今、その胡蝶蘭はクリニックの待合室に飾ってあります。




蘭のように、華やかだけど謙虚で居たい                              2019/4/13







豊かさと個人主義

 

日本は豊かになりました。生活も便利になりました。

 

 今の子供達は、もう産まれた時からテレビがあり、パソコン、スマホ、電子レンジ、全自動洗濯機、自動車etc...といった物に囲まれて生活しています。これらは皆、戦後日本がまだ貧しかった昭和の時代に、アメリカに追いつけ追い越せと頑張って獲得してきた成果。

 

 でも、生活は豊かで便利になりましたが、社会はどうでしょうか?

 個人主義が尊ばれ、お互いが干渉し合うのを嫌うようになった。他人に干渉するとおせっかいととられるので、見て見ぬ振りをする。昔のように助け合わない。また、個々の人権や主張が尊ばれるから、ちょっとしたことでクレームになる。社会全体が神経質になってピリピリしている。今の社会は利己的で、他人への配慮や思いやりが薄れてきているのではないか?と感じます。

 

 経済的に貧しく生活が不便だった時代は、助け合わなければ生きていけなかったので、必然的にお互いを思い合って生きていたし、他人の考えや感じ方を尊重する雰囲気がありました。そこには謙虚さや良い意味でのおせっかい(=助け合い)があったので、孤立することは少なかった。

 

 もうすぐ平成が終わろうとしていますが、平成の時代は昭和の時代よりも経済的・物質的には豊かになりましたが、逆に、人と人との結びつきという点では薄くなり不安が増大した時代だったのではないかと思います。

 

 

 それは、日本社会だけではありません。今世界では、アメリカなどの経済的に豊かになった先進国を中心に自国優先主義(保護主義)が台頭してきていますし、他の人種や宗教を受け入れない排他主義が目立ってきています。アメリカと中国の貿易戦争やイギリスのEU離脱問題、ニュージーランドやスリランカ、アメリカで起こったテロはそれを象徴する現象でしょう。

 

 このように、今この地球という天体では、人間という種族が自分の利権を主張して相手を排除するという現象が目立っています。これは、極めて危ない状況だと思います。自分や自国の利益をまず優先すれば相手を思いやるゆとりがなくなりますから、いつか戦争という形に発展していくのではないでしょうか?

 

 ただでさえ、地球は今、自然破壊やCO2排出によって温暖化が進みやばい状況になっています。この状況を打開するには各国の助け合いが不可欠なのに、今の世界情勢は、協力どころか自国のことばかり考えている。こんな状況では、温暖化対策なんて進まないだろうし、やがて人類は滅亡に向かっていくのではないか?とさえ思います。

 

 

 人間の知恵というのは、使い方を誤ると自らを滅ぼしかねない。お互いが幸せになるように使えば良いのでしょうが、自分の欲望のためだけに使うと他の種や他国、他人を傷つけ、結果的には自らをも滅ぼしてしまう。皮肉なものです。

 今の世界の現状を見る限りでは、人間というのはなんて愚かな種なんだろうと思います。

 

 個人レベルでも、社会や世界レベルでも、今必要なのは、自分以外のものに対する想像力と思いやり、そして尊敬ではないでしょうか?種レベルでも、国レベルでも、個人レベルでも、想像力と思いやりと尊敬の心を大切にすること....それが、唯一私たちが生き残れる手段なのではないかと思います。

 

 

 

 

 

春は来たけど、なぜか気持ちは重い                2019/4/29

 

 

 

 

 

 

 

僕にとっての平成

 

平成が終わり、令和になった。

 

僕にとって、平成は人生の大きな転機の時代だった。

 

 一念発起して医者を志し、医学部に入ったのが平成元年。僕にとっては、平成の始まりはそのまま第二の人生の始まりだった。

 しかし、医学部の学生時代に、あの「松本サリン事件」で大切な旧友を亡くした。それは、僕にとても深い傷跡を残した。しかし、一方では、その悲しい事件は僕を奮起させた。

 「医師になって、犠牲になった旧友の分まで頑張ろう。かならず良い医師になってみせる。それが、せめてもの旧友への弔いだ」

 そう思いながら今までやって来た。平成は、僕の第二の人生をスタートさせてくれた大事な時代だった。

 

 一方、社会や世界情勢を見ると、平成は、昭和で築いた様々なものが、ガラガラと音を立てて崩れ始めた時代でもあったのではないか?と思う。

 

 昭和のように頑張れば幸せになれるという価値観が平成では崩壊した。頑張っても幸せになれるとは限らない。それまでの、頑張れば夢が叶い幸せになれるという価値観に疑問符がついたのが平成だ。だから、平成では、どこか空虚感を伴うしらけた空気が漂っていたのではないか?どうせ頑張っても望みは叶えられない。ならば、頑張ること自体がバカバカしい。だから、頑張らなくても安定できるような生き方がいい...etc。といったような考え方が。

 

 このように、平成は、生きるという点では、昭和よりも難しい時代ではなかったか?と思う。人生の中での生きがいややりがいが見出しにくくなった時代....それが平成だったのだと思う。そして、その命題は令和になった今も続いている。

 

 令和に時代は、もっと生きにくい時代になるのではないか?と思う。そういう時代にどう向き合って自分を確立していくのか?現代の僕たちには、その命題がまさに今この瞬間も突きつけられているのである。

 

 

 

 

令和が良き時代になりますように                   2019/5/1

 

 

 

 

 

 

 

休みはいっつも短い

 

もう、あと2日で長い連休が終わろうとしている。

 

 それに伴って、僕の心は、もう僅かだけど緊張が始まっている。休みが長ければ長いほど、その前後の仕事量は多くなる。だから、いつも、休みがあった方が良いのかない方が良いのかわからなくなる。

 きっと、この緊張感は明日になれば何倍にもなるだろう。

 

 でも、つくづく損な性格に生まれてきたと思う。

 今こうやってブログを書いている瞬間も休みなのに、なぜかゆったりとくつろげない。頭のどこかに仕事のことがある。

 調子の悪い患者さんはまだ良くないのだろうか?休み明けに緊急の患者さんが来たら大変だろうな。今週の木曜日はクリニックは休みだけど夜会議があって憂鬱だな....etc

 様々なマイナスな考えが浮かんで来て緊張感を生んでいる。日頃患者さんたちには、できるだけ考えすぎないでゆっくりできる時はゆっくりしましょうなんて偉そうなことを言ってるくせに、なんてお粗末なことだろう。

 今こうやってブログを書いているのも、その緊張感を少しでも軽くするための「記述療法」だ。

 

 とにかく、全身全霊でぶつかるしかない。心も体も丸裸にして、飾らずに患者さんと向き合う。それが、僕が今までやってきた精神科医としての流儀だ。もちろん、様々な精神療法や薬理学はそれなりに勉強してきた。でも、実際の臨床の現場では、教科書的な知識が役に立つことの方がはるかに少ない。

 そういう時には、僕の心が患者さんの心とガチンコ勝負するしかないのだ。

 その根底にいつもあるのは、患者さんが少しでも楽になってくださること。少しでも、クリニックに来て良かったと思って下さること。

 

 仕事は大好きだけど、この緊張感とプレッシャーは、時々何とかならないものかと思う。

 

 でも、僕の性格からいっても、この緊張感やプレッシャーは無くならないんだろうな。これと上手く付き合っていくしかないんだと半分諦めている。

 

 

 まだ休日だ。

   

 出来るだけ、「意識して」ゆっくりしよう.....

 

 

 

 

 

春はいい 一番好きだ                          2019/5/5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ル・マン

 

今年も、6月15日、16日にル・マン24時間耐久レースが行われた。

 

 世界3大レースの一つだ。舞台はフランスのサルト県ル・マン市にあるサルト・サーキット。

 各カテゴリーの車が24時間走り続けて順位を競い合う。一台のマシンを3人のレーサーが交替でドライブする。ドライバーにもマシンにも極めて過酷なレースだ。

 

 でも、僕はこのレースが大好きだ。毎年この時期には、唯一24時間生中継する「スカパー」の「J-sports」を契約して観戦する。

 世界には、F1のモナコグランプリやインディ500、デイトナなど多くのレースが存在するが、僕はこのル・マンが一番好きだ。それは、24時間という長丁場、人間とマシンが走り続けるという非常識でどちらかというとサディスティックな自分の性格(笑)をくすぐるということもあるし、レーサーやマシンだけではなく、それをサポートしている様々なメカニックたちも含めたチームワークが生み出す人間ドラマが見られるからだ。もちろん、世界中の大好きなスーパーカーが見られることも大きな魅力の一つだが。

 

 ル・マンでは先述したように様々なカテゴリーの車が同時に走る。LMP1、LMP2といったF1のようなマシンカテゴリーもあるが、僕が好きなのは市販車を改造したLMGTEクラス。実際に市販されている、ポルシェやフェラーリ、BMW、フォード、アストンマーチン、シボレー、トヨタなどの車両が競い合うカテゴリーだ。

 特に、夕暮れから夜の時間帯のル・マンは、ライトアップされたレース場やロードのネオンサイン、マシンのテールライトなどが美しくかっこいい。車が、より華やかに見える。

 

 サルトサーキットは全周13.629km。ドイツのニュルブルクリンクサーキットに並んで長く、途中は一般道を使用する。つまり、サーキットが行われない時は一部の区間は公道で普通に一般車両が走っているわけだ。そんな他のサーキットにないような点も魅力の一つだ。映画にもよく取り上げられた。昔、スティーブ・マックイーンが自らレーサーとして主演・出場した『栄光のル・マン』は今でも名画として有名だ。

 

 僕は幼少期から乗り物が好きだった。両親は車の免許を持っていなかったからどこに行くにも鉄道を使ったので、まずハマったのは電車だった。変わっていて、特に連結器に異常に興味を持ったようだ。「止まってる車両の連結器ばかりをじっといつまでも見ていた」とよく言っていた。特に、ゴテゴテしたいかにも「機械」という感じの電気機関車も好きだった。ED82、EF65といった機関車が好きだった。他にも、重機、飛行機、戦車、船、潜水艦、ロケットetc...とにかく、乗り物という乗り物には何でも興味がある。

 

 車は、信州に来て免許を取ってから本格的に興味を持ったが、やはり、スピードには憧れるし、車のデザインには惹かれる。

 今の若い世代はあまり車に関心を示さないようだが、僕たちの世代は車を持つことが夢だった頃に育ち、またランボルギーニやフェラーリといったスーパーカーに憧れた世代。男はいつまでもスピードとマシンに憧れる「男の子」なのだと思う。

 

 そういった「男」の欲求を掻き立ててくれるのがレースだし「ル・マン」なのだ。

 

 今年は、LMPカテゴリーではTOYOTA GAZOO RASINGが見事ワンツーフィニッシュ。優勝は、あの中嶋悟の息子の中嶋一貴やF1の王者フェルディナント・アロンソがドライブした8号車。GTEカテゴリーではポルシェGTチームが圧勝した。

 

 早い乗り物は美しい。空力を考えた流れるようなデザイン。ポルシェやフェラーリもいいが、フォードGTやアストンマーチンはめちゃくちゃカッコイイ。

 

 

 実は、そのル・マンがあった6月16日に富士スピードウェイで自車を走らせてきた。といっても、その当日行われたGT耐久選手権の合間に行われたディーラー主催のプログラムでのわずかな時間だったが。

 サーキットで走るのは初体験。緊張したけど、すごく気持ちよかった。公道では、いくら高速道路といっても出せるのはせいぜい100kmくらいまで。前車を追い越す時も、覆面パトカーやオービスにビクビクしながらアクセルを踏まなければならないから欲求不満が溜まる。でもサーキットでは思いっきりアクセルを踏めるから200kmを超えて走ることもできる。

 

 スピードに憧れるのは男の闘争本能だと思うのだが、それは僕のような親父世代だけなのだろうか?

 もしそうだとしたら、ちょっぴり寂しい。

 

 

 

 

 

(公道では)スピードは控えめに                   2019/6/18

 

 

 

 

 

 

 

イキルノハ、ムツカシイ

 

先日、サーキットで車を走らせたというブログを書いた。それとはうって変わって今日のタイトルはマイナス思考(汗)。

 

 実は、先日のサーキット走行の後、帰宅途中の車内での僕の気持ちは、「期待していた程面白くなかった。なぜだろう?」というものだった。

 

 

 毎日、目覚し時計が鳴る前に目が覚めてしまう。動悸と発汗があるからだ。起きる前の睡眠が浅くなってくる頃からもう緊張が始まっている。

 交感神経が興奮してこのような状態を作る。交感神経は臨戦体制の時に活躍する神経だ。つまり闘う時に必要な神経。見方を変えれば、交感神経が興奮するのは難局を乗り越えるために働く生存本能だ。

 

 今日は患者さんにとって良い診療ができるのだろうか?どんな患者さんがいらっしゃるのだろう?あの状態が良くない患者さんは今日はどうだろう?スタッフとうまくやれるだろうか....etc。そんなことが頭にあるから、毎日緊張して起きるのだ。起きたくない、このまま寝ていたいと思うのも日常茶飯jだ。

 

 

     生きるというのは本当に大変だし難しい。

 

 

 一生懸命にやっていても、誤解されたり、こちらの気持ちをわかってもらえなかったりする。

 

 

 院長は孤独だ。本当の悩みや苦しいことは誰にも言えない。だから自分で抱え自分で処理しなければならない。それは院長の宿命だと思っている。

 

 

 ここからは診療の話ではないが(だから、患者さんには全く関係のない話です)....

 

 僕は、たとえ批判されてもいちいち説明したり反論したりはしない。それが、例え自分が間違っていない(正しいことを)と思っても。説明したり反論するのは女々しいという感覚があるのと同時に、一旦こじれてしまうと、いくら説明しても、相手には言い訳のように聞こえてしまうからだ。

 

 その代わり、自分を批判したり誤解している人に対しても、(自分は悪くないのだから)いつもと同じように接する。礼節もきちんとする。良いところはきちんと評価する。それが僕の考え方だ。

 

 「相手の言動・行動を憎んで人を憎まず」

 

 むしろ、相手を哀れむような(これは決して上から目線で見ているのではない)優しい気持ちになる。「そんな風にしか考えられないんだなあ」「かわいそうだなあ」「何かコンプレックスでもあるんじゃないかなあ」と。 

 

  基本的に、僕は人間が好きなんだと思う。だから、たとえ対人関係でトラブって傷ついたとしても、心から恨むことは無い。 

 

 だから、僕はいちいち反論しない。黙っている。いつかその人が理解してくれる時が来ることを祈りながら。

 

 

 

 最近、患者さんが毎日のように「先生、最近痩せたんじゃないですか?」「疲れてるんじゃないですか?」と暖かい声をかけてくださる。素直に嬉しいしありがたいと思う。

 

 その反面、自分では患者さんの前では普通に元気にしているつもりなのに、患者さんは見抜いてるようで、患者さんを癒してさしあげないといけない医師である僕が患者さんにご心配をかけているかもしれないと思うと、大変申し訳ないと思うと同時に、自分未熟性を反省する毎日。

 

 まだまだ俺は修行が足りない。

 

 

 

 

 

お日様が恋しい                         2019/7/14

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分勝手な車考*2

 

どうして、日本車のデザインってこんなにダサいんだろう....?

 

(対象車に乗ってる方、ごめんなさい)

 

 トヨタ車はどれも同じに見えるし、レクサスのあのZ型の大げさなグリルは何なんだ?。とても美しいと思えない。

 今の国産車の傾向は、どちらかというとイカツイ感じに走っていないか?アルファードなんかその典型的な例だけど、威圧感を与えるようなデザインが多いような気がする。本田のシビックTYPE-Rもどう猛なファイスで威圧感を与えるが美しいとは思えない。

 

 その点、マツダ車は国産車の中では美しいと思う。流れるような曲線とエッジの効いた直線をうまく取り入れて、マツダ独自の世界を作っている。

 今、デザインという面で、国産車で世界の車と対等に渡り合えるのはマツダくらいじゃないか?

 

 

 むしろ、デザインという点では、ヨーロッパやアメリカの方が魅力的なクルマが多い。

 

 あの、未来的で攻撃的だけど美しいと思えるランボルギーニ。アヴェンタドールのデザインは戦闘機を思わせる。

 

 フェラーリも美しい。最近のフェラーリは少しやりすぎ感がある感じも否めないが、あの流線型の車体からは女性的な柔らかさを思わせる。しかも速い。

 

 ポルシェ。昔から911Carreraは一貫して「カエル目」と言われる丸いヘッドライトを有したデザインを変えていない。ポルシェといえば、車のことを知らない人でもなんとなくイメージが湧く。とくに、僕は911のリアの眺めが好きだ。リアフェンダー(後輪を収める部分)の張り出しからリアウィンドウにかけての曲線美はさながら女性のヒップのよう(いやらしい意味ではなく)で美しい。スポーツカーはヒップが大事だと思っているが、ポルシェ911のヒップは世界でもトプクラスだと思う。

 

 アストンマーチン 。イギリスのスポーツカーメーカーでル・マンにも参戦しているが、僕はこのメーカーのデザインが最も好きだ。映画『007』のいわゆる「ボンドカー」でも有名だが、 DB11は美しい。ロングノーズ・ショートデッキのいわゆるイギリス伝統のデザインだが、クラッシックな要素と現代的な要素をうまく組み合わせて、いかにも、走るぞ!という雰囲気を持たせながらもエレガントさを漂わせる....この絶妙なデザイン感覚。さすが、イギリスの貴族階級が乗る車だ。とくにDB11のスパーレッジェーラは僕は大好きだ。

 

 ジャガーもいい。アストンマーチン よりも庶民的だが、アラン・カラムが生み出すデザインは超一級品だと思う。セダンにしてもF-typeといったスポーツカーはエレガントだ。

 

 マクラーレン。この超未来的なミッドシップのスーパーカーも、好みは分かれるだろうが、強烈なインパクトを持ったマクラーレン独自の世界を現出している。

 

 ミニ。これもまたギリスのメーカーだが、ミニの世界はミニでしかあり得ない。あんなに小さい車両なのに大の大人が快適に過ごせる。あれは、イギリス特有のユーモアもあるのではないか?

 

 ベントレー。極めてクラッシックな要素を含みながらも威厳溢れる堂々とした風格を感じさせるデザイン。この世界もベントレー以外では真似できない。これも、イギリスの貴族社会で乗られる車だからこそのデザインである。

 

 ランドローバー。これもイギリス。SUVの専門メーカーだが、そのラインナップの中でも、イヴォークやヴェラールがスタイリッシュで綺麗だ。アメリカのジープやドイツのゲレンデバーゲンのような無骨さはなくエレガントだ。それは、もともと貴族階級が狩に行く時に使う車だからだ。このクルマも、元は貴族階級御用達の車なのだ。

 

 このように、デザインの面ではイギリスは優秀なメーカーが揃っている。

 

 アウディ。ドイツ車だが、極めて機能的かつ合理的なデザインを有するメーカー。直線を基調とした無駄のないデザイン。イギリス車のようなクラシカルな要素をわざと取り込むような「人間臭い」演出はなく、極力、機能美に徹したデザイン。セダンも美しいが、特にTTクーペやR8なんかは工業製品としての美しさを感じる。

 

 フォルクスワーゲンのビートル。つい先日、メキシコ工場で最後の1台が作られてこれで生産終了となるが、あの愛らしい丸い車体は僕たちの記憶に永遠に残るだろう。ビートルとは昆虫という意味である。

 

 ベンツやBMWは僕はあまり好きではない。美しいと思えないからだ。それぞれそれなりの世界観はあると思うが、デザイン的にはあまり魅力を感じない。

 

 

 ボルボ。スウェーデンのメーカーだが、昔から洗練された角ばったスタイルで有名だ。特に、最近のボルボは、ヘッドライトのセンターにLEDを取り込んでクールなフェイスなシリーズを出してきた。インテリアもスカンジナビアンデザインで、とても美しい。こういうインテリアのセンスは、ドイツ車が一番苦手としている分野。ドイツ車はあっさりとしていて、機能的に必要なものだけがついている感じだが、イギリスやスウェーデンの車は装備も豪華で見た目も美しい。だから、乗っていてもラグジュアリー感満載で居心地が良い。

 

 スパイカー・カーズ。オランダのスポーツカーメーカーで。C8というスポーツカーはとてもユニークなデザイン。レトロな要素と近未来的な要素の融合。エクステリアも魅力的だが、インテリアはさながらクラッシックな飛行機のコクピットのよう。もうここまで来ると芸術品だ。

 

 

 シボレーカマロ。これはアメリカのスポーツカーだが、純粋にカッコいい。あのどう猛な目は、獲物を仕留める前の猛獣を思わせる。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にも出てきたのでご存知の方もいらっしゃると思うが。主に直線を多用したデザインだが、ボディに対して小さなウィンドウはいかにもアメ車らしい。

 

 フォードマスタング。これもアメリカを代表するスポーツカー。カマロに負けず劣らず、美しくかつどう猛なファイスを持っている。こんな車に後を着かれたら、すぐに「はい、どうぞ」と道を譲ってしまうだろう。

 

 ハマー。今はあまり見かけなくなったが、もともと H1という軍用車がルーツの車。巨体だが、 SUVの中では、破格の迫力とカッコよさを持っている。ただ、めちゃくちゃデカイ車なので、日常生活で使うのは駐車場を探すにも一苦労で使い勝手は悪いだろう。目立ちたい人には最高の車だが。

 

 ジープ。このメーカーもルーツは軍用車。ベトナム戦争の際に、ジャングルや湿地帯でも走れるようにと開発されたウィリスジープが発祥。その中でも、ラングラーというモデルは昔から普遍のデザイン。「Jeep」と言えばラングラー。あのデザインも、ポルシェ911と同じように誰もがイメージできるだろう。このメーカーでは、グランチェロキーというラグジュアリーなモデルもSUVの走破能力とサルーン空間をうまく両立させていて僕は好きだ。

 

 

 まだまだ魅力的なクルマはたくさんあって書き切れないが、美しい車というのは、そのメーカーの思想が色濃く出ていたりこだわりを主張しているクルマなのだと思う。その背景には、伝統や技術面でのプライドがある。国産車に魅力的なデザインの車が少ないのは、歴史が乏しいのと、メーカーの強い思想や主張が無いからではないか?

 

 でも、日本も過去には美しいデザインの車があったのだ。1960年代から製造された日産シルビアやトヨタのマークII、チェイサー、ホンダのNSXなどは、発売当時、「綺麗だなあ」「カッコいいなあ」と思ったものだ。しかし、その後、徐々に装備だけは充実して様々な便利な機能は付けられはしたが、デザインに目を向けて作られたクルマは無かったのではないか?

 先述した魅力ある国産車は、いずれも昭和30年代からバブル崩壊までの、まだ国全体・国民一人ひとりに「夢」があった時代に作られた車だった。美しい車を作るためには、メーカーや開発者の強い思想が不可欠だが、「夢」や「情熱」がベースにあることも大事なのではないか?少しくらい採算を度外視てでも美しい車を作ろうというような「夢」や「情熱」が。

 

  しかし、「出る杭は打たれる」という諺があるように、みーんな同じようにしている方がお気楽な日本人特有の「目立たなさ文化」の中では美しいクルマは生まれない。それに加え、今はまだ不景気だ。デザインに予算を割くよりも、装備品や自動運転の方に予算を組んで採算性の良い車を作ることが優先される。そんな車文化の中では、欧州と肩を並べるような本当に美しいクルマは生まれないのではないか?

 

 

 

 

 

 

梅雨は好きじゃない                              2019/7/14

 

 

 

 

 

     

 

 

 

僕の心が

 

....求めている

 

明るくて 無邪気で 素直に自然と対話できるようなこころを

 

思わず ハミングしてしまうような 軽やかなこころを

 

自然に ステップを踏んでしまうような ウキウキとしたこころを

 

もともと 僕にはあったはずだ そんなこころが

 

 

何か もう一つ気づければ

 

あと少し 何かを変えれれば そのようなこころになれるのに

 

それが見つからない

 

 

子供の頃は あんなに自然に空気を吸い 美味しいものを食べ 走り回っていたのに

 

今 なぜできないんだろう?

 

 

また 子供のようになりたい

 

あるがままに 自然に 生きてみたい

 

 

 

 

 

 

長い梅雨がやっと終わる                     2019/7/28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あった

 

....今のこんな俺にも。

 

子供の頃から変わらないものが。

 

 

人が好きなこと。

人と関わることが好きなこと。

人の心が好きなこと。

だから、今の仕事が好きだ。

子供の頃からの夢だったんだ。

 

 

 

こんなに不自然に苦しみながら生きているけど、そこだけは子供の頃から変わってない。

 

なら、このことだけは大事にしていこう。

きっと、神様が残してくれた俺の一部だから。

 

 

明日から、また患者さんと一緒に悩もう。

一緒に悩んで、一緒に辛い思いをして、そして、一緒に喜ぼう。

 

 

 

 

 

俺は精神科医が好きだ                        2019/7/28

 

    







 

 


なぜ?

僕たちの国は世界で唯一の被爆国なのに
たくさんの方々が亡くなり、今も後遺症で悩んでいるのに   
遺族も傷ついたままなのに
核禁止条約の会議に非参加なんだろう?
 
原爆犠牲者追悼式典での安倍さんの挨拶は
なんであんなに、薄っぺらく聞こえるのだろう?
 
なぜ核の怖さを一番みに染みてわかったる国民なのに 原発を稼働させるのだろう?
僕たちは 戦争と東北の大地震でたくさん傷ついたはずなのに
 
どうして?
 
あの森友学園の問題 改ざんをした役人や安倍さんたちは 起訴されずにお咎めなし
 
どうして?
 
数の力に任せて 民意を無視して 国民のためにためと調子の良いことを言って 強行採決をして 憲法を改正して 確実に軍事化を正当化しようとしてる
そんな自公民が なぜ 今回の選挙でも勝ってしまうの?
 
どうして?
 
どうして?
 
みんな   このままでは この国は 正義もない 優しさを忘れた ポリシーを持たない国になってしまう
 
 
自然が怒ってる                                     2019/8/12
 
 
 
 
 
  

個人主義と保護主義

 

今、世界が揺れている。

 

地球が揺れている。

 

 

 人間が、個人個人、人種同士、民族同士、宗教、国を単位に、「自分が一番大事」と自分以外の要素を排除しようとする動きが加速しているからだ。

 

 クレーマーという言葉がある。

 正当な主張をするクレーマーなら問題ないのだが、極端に非条理なクレームをつける人は自分たちのことしか考えていない。相手の立場やその場の空気を読めない。自分が、本当は他の人の様々な支えやサポート、配慮、思いやりによって成り立っているということを忘れている。

 

 人種、民族、宗教、国で対立している様々なトラブルも同じだ。

 それぞれの主義主張は異なっても、どこかで皆が相手の世話になりサポートを受けているから存在し得るのに。

 

 アメリカと中国の貿易戦争がますますエスカレートしている。本当に馬鹿げたことだ。ただの国の首長の意地の張り合いで世界中の経済が迷惑を被ってる。

 アメリカも中国も、自国だけでやっていけると思っているのだろうか?それぞれの助け合いがなければ、国は成り立たないはずだ。

 

 

 もっと視野を広げれば、今現在も自然がどんどん破壊されている。

 ブラジルのアマゾンでは、人工衛星からもわかるほどの広大な面積の熱帯雨林が山火事で消失。しかも、まだ延焼中とのことだ。アマゾンの開発を推し進める現大統領の支持者の放火が原因らしい。

 アマゾンの熱帯雨林は、地球の酸素の20%を供給する極めて重要な地域。だから、『地球の肺』と言われている。また、多くの貴重な生物の宝庫でもある。しかし、ある一部の本当にチッポケな欲望で、こんなに大切な地球の資源を破壊してしまう。

 

人間というのはなんて愚かな生物なのだろう!!

 

 

 僕達人間は自分たちの力で生きているのではない。

 僕達が吐き出した二酸化炭素を植物が吸収し、その代わりに酸素を供給してくれるから生きられるのだ。宇宙から降り注ぐ強烈な紫外線から守られているのも、オゾン層が守ってくれているからだ。他にも書いたらきりがないが、僕達は、様々なたの生物や地球の現象によって生かされている。また、様々な他の人たちに助けられ支えられながら生きているのだ。

 

 なのに、今の人間が行なっているのは、それを忘れて自分の欲を満たすことだけだ。

 

 

 だいたい、自分の国の貿易がどうのこうのとかミサイルがどうのこうのとか言ってる場合じゃないんじゃない??

 

 今地球がどれくらい危機的な状況に置かれているか。温暖化で、世界中で異常気象が起こり災害が増えているのに、どうして自国のことばかり考えていられるのか?

 そんなことをしてる場合じゃないんだよ!

 

 マジで、ヤバイんだよ、今この星は!!

 

人間は愚かだ。

 

 今の人間の状況を見ていると、わざわざ滅亡に向かわせているようにしているとさえ見えてしまう。

 

 細胞学の考え方に、「アポトーシス」という現象がある。細胞が自ら自殺してしまう現象(プログラム化された細胞死)だ。人間には、本能的にそういうようなものが備わっているのだろうか?『歴史は繰り返す』というが、太古の昔から、人間は今のような状況を何度も繰り返してきたのだろうか?もしそうだとしたら、人間は過去の教訓を全く生かせない生物だ。

 

 

 今は、自分のこと、自分の国、自分の種、自分の民族性、自分の宗教のことばかり考えている状況ではない。

 

 地球という美しい天体は、今、確実に傷つき、病み、破壊される方向に向かっている。

 

 

 世界中の人間が、この奇跡の天体を守ることを考えなければならない。

 自分たちのことだけを考えている場合じゃないのだ。

 

 

 

 

 

 

他の生物たちが怒り、地球が泣いている             2019/9/1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

求めるということ

 

僕たちはいろいろなものを求めます。

 

そのエネルギーといったら、半端じゃありません。

 

 

求めるということは、その対象があるということです。物だったり、人だったり、人以外の生物だったり、趣味だったり.....

 

僕たちは、毎日様々なものを求めて生きています。

 

 

このように、求めるという行為(ある種の本能)には、必ず「対象」があるということになります。求めるもの(「対象」)がなければ求めるわけがありませんよね。

 

そして、求めるという行為には、もう一つ大事な要素があります。

それは、求める「対象」によって「満たされたい」という欲望があるということです。

誰も、嫌な気分になるんだったら、わざわざ「対象」を求めて満たされたいとは思いませんよね。

例えば、人を好きになる場合、「対象」である相手も自分のことを好きになってくれれば満たされることになります。ペットを飼う場合も、最初は可愛いと思って飼うわけですが、その背景には飼うことによって満たされたいという欲求が隠れているでしょう。

 

ですから、求めるという行為には、「対象によって満たされたい」もしくは「満たされるであろう」という期待や希望が必ず存在することになります。

つまり、「求める」という行為にはこういう連関性があります。

 

「求める」=「対象」がある=「対象」によって「満たされたい」

 

ということです。

 

 

でも、ここが少しやっかいなのです。

 

なぜなら、求めても、いつも満たされるとは限らないからです。

 

先ほどの例で言えば、人を好きになっても相手が自分を好きになってくれる保証はどこにもありません。

もし、告白して相手に拒絶されれば、求めた「対象」から満たされたいという気持ちは完全に否定され、絶望的になるでしょう。

 

上司に認められたいと思って一生懸命働いても、上司がその頑張りを正当に評価してくれなければ満たされません。これも、正当な評価という「対象」を「求める」という行為には、いつも自分の思い通りにはいかない(「満たされない」)という事実が存在するということを表わしています。

 

 

そもそも、この世の中で、どれだけのものが、自分が「求める」ことに共感してくれるでしょうか?

どれだけ「満たされる」「対象」があるのでしょうか?

 

 

僕の浅はかな経験では、この世のほとんどのものは、求めても満たされないのではないか?と思います。

ですから、求めれば求めるほど挫折の連続ということになり、疲れ果ててしまいます。

 

 

 

先程、求めるという行為には必ず「対象」があると申しました。

実は、この「対象」の考察がとても大切だと思うのです。

 

 

もし、その「対象」が変化してしまうものであればどうなるでしょうか?

そうなれば、僕たちの期待は裏切られ、大きく傷つくことになります。

例えば、「対象」が、人やその他の生き物、お金といったものだった場合...それらは絶えず変化しているので、僕たちの思いどおりにはいかないですね。

 

従って、そういった変化する「対象」を求めてしまうと、僕たちの心は揺れ動き、不安になり、欲求不満がたまっていくのではないか?と思います。

 

ですから、僕たちは、変化するもの(「対象」)を求めない方が良いのです。求めすぎてはいけないのです。だって、自分の思い通りにはならないですから。

 

 

変化する「対象」を求めれば、僕たちの満たされ感や幸せ感は、その「対象」次第になってしまうことになります。

それは、時として「対象」に巻き込まれ振り回され、自分を見失ってしまう危険性だってあります。

 

ですから、変化する「対象」を求めてはいけないのです。求めてはいけないというのが極端すぎるのであれば、あえて、求めすぎてはいけないと申し上げましょう。

変化する「対象」とは、常にある一定の距離をとっていることが大切です。

 

特に、人のように、常にころころと気持ちが変わる生き物は求める「対象」にしない方が良い。なぜなら、僕たちの思い通りにはならないからです。

もし求めれば、相手次第になってしまうからです。

 

「対象」を求めるということは、言い換えれば、「対象」に「依存する」ことだといっても良いでしょう。そしてそれは、自分の幸せが相手次第になってしまうということです。

求める「対象」が自分の思い通りに期待通りに自分を満たしてくれれば、自分は幸せになる。でも、その「対象」が期待通りにならなかった時、自分は満たされない。

それは、自分の幸せが相手次第になってしまうということ。

 


本当の幸せとは、「自分次第」であること......つまり、相手(「対象」)がどうであろうと、自分の幸せは自分で見つける....そういうものではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

コオロギの音が寂しい                   2019/9/13

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すごくおかしなこと

 

 共通センター試験の英語。様々な業者から受験する所を決める。公平性、客観性が最も問われる試験で、どうしてこんなことが許されるのか?おかしいだろ?

 

 福島原発事故の東京電力トップの裁判。全て無罪というのはどうしてか?じゃあ、一体誰の責任なのか?原発を運営する会社のトップが責任を問われない。ということは、責任は国にあるんじゃないの?おかしいだろ?

 

 原子爆弾が唯一落とされた国、日本。原爆反対は当然なのに、なぜ、核禁止条約の会議に参加しない?日本が、先頭に立って核廃絶の声を挙げなければならないのに。そのリーダーにならなければならないのに。おかしいだろ?

 

 森友・加計学園の問題。あんなに怪しい安倍さんが、なんでまだ首相をやってるの?それに関わり、文書改ざんをやった官僚が、なぜ不起訴になるの?おかしいだろ?

 

 今回の参議院選挙も、また自公民が勝利した。でも、投票率は低い。この国は、今非常にヤバイ状態になってる。将来の国の状況を考えても混沌としてる。政治家は国民の意向を顧みずに好き勝手なことをやってる。おそらく憲法を改正して軍事力を増強する方向に行くだろう(少なくとも、安倍さんはそう考えてる)。世界一早く高齢化が進み、それに対する社会保障体制の整備は後手後手に回ってる。日本を取り巻く世界状況もキナ臭い。そんな状況なのに、どうして選挙に行かない人たちが半数以上もいるのか?国を良くするためには国民の力でしかできないことなのに、どうして選挙に無関心な人がこんなに多いんだろう?香港でも、台湾でも、韓国でも、若い人たちが先頭に立ってシュプレヒコールを挙げている。でも、日本はどうして国民がこんなに黙ってるの?どうして選挙に行かないの?この国がどうなってもいいの?おかしいだろ?

 

    今回開催される国連総会。そこで同時に開かれる温暖化サミット。それには、安倍さんとトランプ大統領は参加しない。なんで?どうしていつもアメリカの顔色ばっかり伺ってんの?この国は、いまだにアメリカから独立できていないこどもの国だよ!アメリカの属国みたいだ。そんな無能な総理大臣を、僕たちは選挙で「選んで」しまったんだよ!おかしいだろ?

 

 こんなに景気が良くないのになんで消費税を上げるの?アベノミクスがうまくいってる?景気は緩やかに回復してる?冗談じゃない。僕たち国民は、全く景気が良くなってるという実感がない。トヨタのような大手の輸出企業が円高の助けもあって少し儲かってるだけじゃないの?まだ国民の財布の紐は固い。だって、給料が上がらないのに物をどんどん買いますか?旅行に出かけますか?消費税を上げる前に、給料が上がる政策を行ってほしい。社会福祉士や保育士のような高齢の方や幼児のために身を粉にして働いてらっしゃる給料を上げるような政策を立ててほしい。一機100億円もする戦闘機を100機も買う予算があるならそれくらいできるんじゃないですか?社会保障を充実させることを選挙の第一公約に掲げていたわけだから、それを実行しないのは....おかしいだろ?

 

 今回の台風で、千葉県が大変なことになってる。いまだに、何万という世帯が停電。なんで国はもっと早く動かないの?県は?なんで東電だけに任せてるの?他の電力会社はうちの管轄じゃないからどうでも良い?そんな感じで助けようともしない。おかしいだろ?

 

 先生が叱っただけでパワハラになる。なんでそんなことがパワハラなの?授業中に席を立ったり物を投げたりしたら叱るのは当然でしょ?なのに、なぜそれがパワハラなの?なぜ「うちの子だけじゃなく他の子も叱って下さい」になるの?あなたのうちの子が迷惑行為をやってるんだよ。それなら、あなたも自分の子を叱るべきじゃないですか?なんで、叱らなければならない時にきちんと叱れないの?そんなあなたが、なぜ先生を責められるの?おかしいだろ?

 

 電車の中や横断歩道を渡りながらパンを食べてる人。恥ずかしくないのかな?同じ電車内で化粧してる女性。路上でも時々見かける。恥ずかしいと思わないのかな?なんでもあり?それは権利?笑わせるんんじゃないよ。そんな大げさなものじゃない。「恥」の問題なんだ。マナーの問題だなんだよ。それがわからないんだろう。おかしいだろ?

 

 どうして自分の子供を虐待したり殺したりするの?おかしいでしょ?そんな親は親じゃない。親は、どんなに子供に厳しくしても、根底には常に深い愛情が流れてる。絶対この子を守るという強い意志が根幹にあるんだよ。だから、虐待なんかにはならないし、ましてや殺したりもしない。するわけがない。もし、虐待や殺人を肯定する人がいるなら、そんな人は本当の親じゃない。おかしいだろ?

 

 なんで人のせいにするの?この国の社会も、世界中の国も、自己主張ばかりしていて、他人や他の国のせいにしてる。人間の営みそのものが「自己愛的」だ。おかしいだろ?だから見てみてよ。お互いが、自分や自分の国の方ばかり見てるから、いつの間にか、地球の自然環境はとんでもない事になってるじゃないか?地球温暖化のために、世界各地で災害が起こってる。日本でも、毎年のように「〜十年に一度の....」といった災害が各地で起きてる。日本は、もう温帯気候ではなくなりつつある。これからも、ゲリラ豪雨や超巨大台風が、毎年のように日本を襲うだろう。おかしいだろ?

 

 

 

今の世の中は、おかしなことだらけ。

毎日のニュースは、その報道だらけ。

毎日の天気予報は、おかしな気象だらけ。

それもこれも、すべて人間のやってることがおかしいから。

 

この地球をダメにしてる張本人。

それは、一番いばってる人間だ。

 

 

 

 

父親が自分の子を殺した??おかしいだろ?                                   2019/9/18

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭と感覚

 

「頭」というのは、どうにも厄介な存在。

 

どうでも良いことをクヨクヨと考えてみたり、必要以上に自分を責めてみたり。それは、絶対プラスにはならないこと。自分を成長させてくれることではない。

 

「頭」=常識、理屈、論理、義理、しがらみ、ルール、形、目に見えるもの、「〜べき思考」、言葉...etc

 

「感覚」=五感、非常識、気持ち、自由、非論理的、非言語、目に見えないもの、「〜したい」、音楽、絵画、自然、光...etc

 

 

「感覚」は大事。「頭」よりも「感覚」を大事にすること。

それは、自分の心に正直でいること。ありのままの自分でいること。

そうやって生きていると、ありとあらゆるものが美しく、ありがたく、優しくて、感謝できる。

 

自分が自然の一部でいること。地球という小さな天体の一部であり、無数の星を有する、気が遠くなるほど広い宇宙の一部であること。

「感覚」とは、それを感じられる唯一の「器官」。唯一の手段。

 

 

子供の頃は、「感覚」の中で生きていた。それが当たり前の毎日だった。

だけど、大人になるにつれ、いつの間にかそれを忘れてしまう。

「頭」が支配してくるからだ。

 

「頭」に支配されないように。「感覚」を忘れないように。

 

 

今日も自分に言い聴かせた。

 

 

 

 

空気が美しい日だった                            2019/9/19

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに......

 やってしまった.....

 

.....腰。

 

 草刈りをやってひどく疲れたが、その後、泥のように半日眠り、翌日の月曜日は、不思議なことにいつも以上に疲労感がなかった。よく眠れたせいかなと思った。ところが、それから二日後の朝、何気なくベッドから起き上がった時、いきなり臀部と両下肢に痺れと激痛が走った。

「これは尋常じゃ無いな」....まず、直感的にそう感じた。医者のサガというものだろうか?今まで感じたことがないような痛みと痺れだった。

 

 患部が臀部と両下肢であることから、まず原発巣は腰椎が考えられた。そして、症状が痺れと痛みであることから、筋肉や骨ではなく神経であろうことは容易に想像がついた。さらに、臀部と両下肢の背部に症状があり、背中を反ると症状が増強すること、逆に前かがみの状態になると症状が軽減すること等から、自分なりに脊柱管狭窄症と診断した。

 

 それからというもの....

 歩くと激痛と痺れが両下肢に走るから、姿勢良く歩けない。自然に、痛みが軽くなる前かがみの姿勢で歩く形になる。「笑っちゃいけないと思うんですけど、笑ってしまいます」とスタッフには笑われた。まあ、クリニックの雰囲気が和むことに貢献できてるならいいかと思って、その後も小動物のように歩いていたが(汗)。今は、痛み止めを内服することでかろうじて痛みは軽くなってはいるが、これは所詮、対処療法。根治は手術しかない。

 

 

 さて、そして迎えたMRI.....

 そこには、自己診断が当たってませんようにという僕の祈りも虚しく、脊柱管狭窄症を示す像がはっきりと映し出されていた。

 「働きすぎですよ。もう少し体を労らなければ」...一瞬、そんな声が聞こえたような気がした。

 

 脊柱管狭窄症とは、脊柱(背骨)の骨の一部が脊柱管内を走る神経の束に触れて激しい痛みと痺れを出す疾患。加齢や働く環境によって起こると言われる。

 

 以前から、いろいろな人に「働きすぎ。頑張りすぎちゃ患者さんに迷惑がかかりますよ」と言われてきた。患者さんからも、「先生、最近疲れてるんじゃないの?先生が倒れたら、私たちが困るんだからね」とよく言われた。

 

 でも、僕は「患者さんのためだから」と、疲れを自覚しているにも関わらず、昼休憩も取らずに書類を書き続けたり昼食を抜かしたりしていた。少しでも早く書類を患者さんに手渡さなきゃ、患者さんが少しでも良くなるのなら、自分が少し我慢すればいいんだ....と考えて、今まで頑張ってきた。

 クリニックが休みの木曜日は産業医の仕事を入れて各企業等を廻る。毎週土曜日の診察は、朝から夕方まで昼休憩なしのノンストップ。昼食は取れないから、いつもカロリメイトゼリーを流し込むだけだった。

 実質何もない休日は日曜だけ。でも、その午前中は少し休むことができるが、午後になるともう月曜日からの仕事が頭をよぎり、ゆっくり休める精神状態ではなかった。

 毎朝5時半すぎに目覚し時計をセットするが、大抵は5時すぎくらいから目が覚めてしまって、動悸と発汗がすごい。おそらく、その日の仕事のことを考えて交感神経が興奮し緊張しているのだろう。

 

 精神科は、おそらく全ての診療科の中でも最も書類の数が多い科だ。書いても書いても「椀子そば状態」で溜まっていく書類。毎日、朝7時すぎにはクリニックに着いてすぐに書類を書き始めるのだが、その数が膨大な量なので、なかなか一日では書き終わらない。中には、一枚書くのに数日かかるような書類もあるので、自分の体が一つでは足りない。

 

 でも、それもこれも、すベて患者さんのためだと思ってやってきたし、それが当たり前だと思ってきた。大変だとは感じていたが、これが医師の仕事だからと思ってやってきた。それを苦に思ったことはない。

 しかし、少しずつ見えないところで疲労が積み重なっていたのだろう。

    今回、大きなリスクを背負うことになってしまった。

 

 

 僕は今まで、大した病気もせずにここまで来れた。それが自分の自信でもあった。しかし、今回は打ちのめされた。今まで自分を大事にしてこなかった代償が、脊柱管狭窄症という病気として現れた。

 

 患者さんのためと思って自分の体に鞭を打ってきた医師としての姿勢...

 実は、それは僕の自己満足、もしくはエゴイズムだったんだ....

 今回、そのことをつくづく考えさせられた。

 

 本当に患者さんを大事に思うならば、まず自分を大事にしなければならない。

 

 この当たり前のことをしてこなかった自分が恥ずかしいし、また情けないと思う。

 

 いつまでも若いわけではない。気持ちは若いつもりでも、歳は確実にとり、心身は確実に老いに向かっていく。それを受け入れなければならない。

 

 

 これからは、もっと自分を大事にしようと思う。

 それが、患者さんを大事にすることだから。

 

 

 

 今になって初めて、患者さんの言葉が身にしみてよくわかる。

 

先生、無理しちゃ駄目だよ!先生が倒れたら、私たちが困るんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

外では地球が暴れている                         2019/9/27

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不安

 

不安 それは心の影

 

いつもついて回る

 

歩いても走ってもできる影のように   不安も消えることはない

 

形あるものが「見える」ように   形の影も「見える」

 

形がない心が「見えない」ように   形のない不安はも「見えない」

 

でも、不安は ずっとついてくる

 

 

そもそも 人と不安との付き合いは長い

 

胎内の不安がない世界から産道を通ってこの世に生まれ落ちた瞬間

 

不安という影とのお付き合いが始まる

 

あの 「オギャア」という第一声は 不安から来る最初の叫びだろう

 

そして 不安はその瞬間から一生続く

 

なんだったら 付き合うしかない

 

だって 離れてくれないんだから

 

不安とは腐れ縁 なんだ

 

 

光があるから影はできる

 

光と影は いつも対になってる

 

 

明るい心があるから 暗い心がある

 

明るい心が希望なら 暗い心は不安


それも対

 

 

だから 恐れることはない

 

なぜなら 希望と不安はプラスとマイナス

 

二つがペアになって 一つの心ができてるんだから

 

お互いは なくてはならないものなんだから

 

ちょうど 昼と夜があって一日なように

 

晴れる日と雨の日があルカら 生き物が存在するように

 

 

だから うまく付き合えば良き友となるだろう

 

 

不安って 本当は怖くないんだよ

 

 

 

 

 

台風は怖い                         2019/10/12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メイクイーン

  

おい お前

 

なんて 力まない姿なんだろう

 

力が抜けていて リラックスしていて 威張っていない

 

でも どこか存在感がある

 

僕は 目立たないけど メークイーンというじゃがいもなんだよって

 

ちゃんと 謙虚に自己主張してる

 

 

眺めてると こっちまで心が和らいでくる

 

 

僕も メイクイーンのように 力まない人生を送りたい

 

 

 

 

 

何もない 何もない                     2019/10/12

 

 

 

 

 

 

 

                       

 

 

 

 

大切なこと*1

 

今は、情報化社会。

知りたい知識は、ネットで調べれば何でも手に入る。

 

 でも、その便利さが、逆に僕たちを惑わしていないか?考える力を奪っていないか?

 

 

 例えば、今の若いお母さんやお父さんは、子供の叱り方一つでも戸惑っている。「どうやって叱ったらいいかわからない」「どこまで叱るのがいいのか?」「叱ったら将来トラウマになるのではないか?」etc...

 様々な悩みがあるようだ。

 

 でも、物事は、「大切なこと=本質」を抑えておけばシンプルになるものだ。

 

 例えば、子育てで一番大切なことは、「子供に無条件の保証を与えること」。子供にとって一番大事なのは、親からの保証。それも「無条件の」保証だ。

 

 子供は、いつもどんな自分でも親から認めて欲しいと思ってる。それは子供の本能。たとえ親の考えとは違った行動をとっても親に負担を負けても、いつも「お前は私たちの大切な子供だよ」と言って欲しいんだ。親にそういう基本的な姿勢があれば、子供は「今の自分でいいんだ」「自分らしく生きていいんだ」と学び、成長して大人になってもしっかりとした自己肯定感があるから、困難にぶち当たっても乗り越えていける。

 

 だから、テストの点数が良いから良い子とか自分の言うことを聞くから家の子....と条件付きで育ててしまってはいけないのだ。そういう育て方をすると、子供はいつも親の顔色ばかり伺って自己肯定感が乏しい人格になってしまう。

 

 もう一度言う。子育てはシンプルだ。大切なことは一つ。それは、「どんなお前でも、お前は掛け替えのない子」という育て方をすることだ。それを一番わかりやすく伝えられるのは「ハグ」だ。どんなに厳しく叱っても、寝かせるときにハグしあげれば、その日のいろんなことはチャラになる。厳しく叱っても、ハグによって、子供は「自分のために厳しく叱ってくれたんだな」と納得して(または、おぼろげに感じて)安心して眠りにつくだろう。

 

 しつけは大事だ。いけないことはいけない。理屈抜きに叱らなければいけない時は多いだろう。でも、最後はハグをしてやれば子供は安心する。

 

 極端な言い方をすれば、子育てはで一番大切なことは「しつけ&ハグ」。

 

 これさえ忘れなければ、他に親がしなければならないのは、(言い方が悪いが)飯を食わせることくらいだ。

 

 

 古代の昔から、大事なことはそんなに変わらない。時代が変わっても、人種や民族が違っても、「人」として大切なことはいつも同じなんだ。

 

 

 

 

 

昨日のラグビーは体が震えた                 2019/10/14